日記の発掘

アホな父親が勢い余って家の倉庫を掃除して、いらんもんは捨てる!と息巻いているそうで、彼には必要か不要か分からんであろう家族のものまで、仕事用の別の倉庫に運ばれてしまった。回収業者はそっちにやってくるので、必要なものがあるなら拾っておかねばならんと歩いて行ってきた。
ほとんどは父親が分別を面倒くさがったプラスチックゴミとか不燃ゴミとかで、日常的に仕分けをしておけば家庭ゴミとして出せるもんばかり。仕事で出たゴミをもって行ってもらう必要があるとはいえ、あんなゴミの処理に金を払うなんて、アホ丸出しだ。ケータイのメールが使えない同世代を笑うくせに、市で決めたゴミの分別ルールを守れずに有料でゴミを捨てることになるなんて、自分が言うように「頭がこりかたまったら終わりだ」っつーのをなぞってて哀れだ。
まぁそういうアホさはともかくとして、ゴミの中から二点拾ってきた。一つは小学二年の時に書いていた日記で、もう一つは幼稚園の先生からもらった年賀状だ。へたくそな字で書かれた誤字のある日記は、本当にそれを手で書いていた感触があって、我ながらなかなかかわいいもんだなぁと思う。こうやってデジタルデータで日記を残すのも利点はあるけれど、あるかないか分からないくらいの文体でしか当人の痕跡は残らないわけで味気ない感じがあるにはある。もう一つの年賀状は毎年年末になると思い出すものだ。高校二年まで、その幼稚園の先生とは年賀状のやりとりはしていたのだけれど、三年のときに年賀状の完成度が…という意味ないこだわりで連絡が途切れてしまい、その後は音信不通。なんとなく苦い気分で年末を迎えている。自分が関わった人が十年も二十年も覚えてくれていたら、それなりに嬉しかろうと想像するんだけど、年を経るごとに住所変わっただろうなぁ(実家の住所知ってるけど)とかインターバル期間の説明どうしようかとか、またあわあわ考えてしまう。今年の年末は頑張ってみるか。な…。