何事も適量があるだろう

父方叔父と従兄弟来訪。いつもどおり土産の野菜などが、とても二人住まいの夫婦で処理できる量ではないために母親とともにため息をつく。
今回のメインは、白菜を15個くらいに小さめの米袋に満載のニンジンと同量の大根。大きいスーパーのポリ袋でゆうに4袋くらいあるそれぞれを「だれかにやればいい」と父親も実家側の人々も言うのだが、どこにそんなにピンポイントな野菜好きがいるんだよ。ものを「あげる」ときには与える側は、受ける側より上位・優位なポジションのはずだけれど、必要以上のものを押し付けるときには「もらってもらう」と言い、与える側は圧倒的に下位・劣位だ。自分ではほとんど何もしないくせに簡単に「だれかにやれ」とか「どこかにもってきゃいいじゃねーか」とか言うな。簡単ならオマエがやれ。
毎度思うのだが、こうやって野菜がくるたびに、その処理に悩まされるのは本当に間違っているよなぁ。